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2012年6月24日 (日)

第3回「名言先輩について」

    ※※※ふたりめの先輩を紹介します※※※
(この物語はフィクションです。実在する先輩方とは無関係です。念のため)


 喝先輩こと勝田さんが部屋を出てから、数分後。
 再び休憩室のドアが開き、べつの先輩が顔をのぞかせました。
「おつかれさまです!」
 弾むような口調であいさつしてくれたのは、二十代半ばの若い営業さんです。いつもの弁当箱をテーブルに載せてから、ネクタイを締め直すような仕草をして、彼は言います。
「営業部の明元です。某アイドルグループのプロデューサーとは漢字違いのアキモトです。好きな季節は夏。気になる血液型はAB型RHマイナス。苦手な早口言葉は東京特許きょきゃきょくです」
 有名な早口言葉を、舌が回らないまま勢いで言い切って、
「よろしくお願いします」
 明元さんは深々と頭を下げます。
 先輩に自己紹介をされたら、深く礼を返すのが新人の礼儀です。
 頭ではそう考えながら、しかし私は迷いました。
「えっと……」
 どういう言葉を返すべきだろうと考えていると、明元さんは顔を上げて、さらに言葉を続けます。
「あ、もう聞き飽きたって顔してますね。ランチタイムに顔を合わせるたびに自己紹介するなよって思ってますね」
「いえ、聞き飽きたわけではないですけど……」
「聞き飽きてはいないけど、見飽きたと。わー、ひどいなぁ、傷つくなぁ」
 明元さんはテーブルに伏せて傷心のポーズを取ります。
 私はどう反応するのが正しいのかと考えつつ、ひとまず食事を再開します。
 沈黙が流れること、数秒。
「さて、食べますか」
 明元さんは何事もなかったように弁当を開きます。
 その切り替えの速さに、私はつい笑ってしまいます。
 明元さんとの会話はおおむねこんな調子です。テンポの速さもさることながら、思いもつかない方向から飛んでくる名言・迷言は私の辞書にないものなので、いつも新鮮な思いがします。
 彼のことを、その名前の音読みに引っかけて、私はこっそり名言先輩と呼んでいます。
 ペットボトルを傾ける彼に、私は呼びかけます。
「明元さん」
「はい?」
「さっき、勝田さんと話したんですけど」
「はい」
 上司の名前が出て、明元さんは心持ち姿勢をただします。
 私は数分前に勝田さんに言われたことを思い返しながら、若い先輩に問いかけます。
「全力で仕事をするとは、どういうことでしょう」
「全力とは」
 明元さんはまじめな顔で繰り返してから、微笑とも苦笑ともつかない表情をします。
「それは他人に聞いたら駄目な質問ですよ」
「そういうものですか?」
「業務の人に営業の考え方が参考になるかどうか……。そもそも営業部の中でだって、勝田さんと根古さんと僕とでは全力のラインが違いますしねぇ」
「明元さんのラインってどのへんなんですか?」
「それはですねぇ、……って、いや、教えませんよ」
 明元さんは乗り出しかけた身を大げさに引いて、ばたばたと片手を振ります。
「それを言ったら、あ、今こいつ本気だなって丸わかりじゃないですか」
「いやですか?」
「少なくとも、僕は絶対に知られたくないですねぇ。自分が全力で仕事しているなんてこと」
 明元さんは箸を動かしながら、難しい顔で続けます。
「マラソンの大会だと、上位の選手はゴールの後も平然としているのに、そこそこの順位の選手はゴールと同時に倒れこんだりするじゃないですか。あれ、僕的にはノーグッドです」
「どうしてですか? いかにも全力を出したって感じがしますけど」
「これがこいつの限界かって、僕なら思いますね」
 明元さんは突き放すように言ってから、こちらを見て不敵な笑みを浮かべます。
「どうせなら、トップでゴールした後で、あと42.195キロ走ろうかなって言えるくらいの選手のほうがかっこいいじゃないですか」
 それがオリンピック発の懐かしい名言だと気付くころ、明元さんがテレビのリモコンに手を伸ばしました。チャンネルはそのままに、音量を少しだけ上げます。
「全力とは……」
 つぶやいた彼の言葉は、ワイドショーの音声にまぎれて聞こえませんでした。
 私はテレビから視線を手元に移します。
 弁当はあと2割程度を残すのみ。
 今日のランチタイムは終わりに近づいています。

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